妙義山と山岳信仰のイベントを見学しました。

知り合いの御嶽行者と妙義山の行者がイベントの講演者をされるとのことで見学に行きました。


妙義山

妙義山も御嶽山と同じで、この山域をまとめて「妙義山」と言うようです。群馬県のホームページによると、山域のほとんどが国定公園。左から金洞山(1,094メートル)、右が白雲山(1,104メートル)、、手前に金鶏山(856メートル)。麓には妙義神社と中之岳神社があり、奥の院が中腹にあります。奥の院というとピーク付近にあるイメージですが、中腹にあるのは珍しいかもしれません。

かつては山伏がいたそうですが、いつからかいなくなってしまい、奈良県の吉野で山伏をしていたフーさんがお山に呼ばれてこの地に来たそうです。


イベント内容

行者、山伏がどんなものか、妙義山や御嶽山への強い気持ち、行者、山伏になった経緯や気持ちなど、色々なお話がありました。特に妙義山はイベントの数日前に山林火災があり、イベント中も火災が落ち着いただけで完全に鎮火とは発表されていませんでした。いつも熱心にお勤めをされていますが、火災の事を思いながらお勤めされていた話を聞くと、安易に言葉にできないような大変さが伝わってきました。


ビジターセンター横の妙義ふれあいプラザで妙義大の字カレーを食べました。今回は温泉は入っていないですが、登山の楽しみに食事と温泉は付き物ですよね。旗で模している「大」の字は実際に妙義山の中腹にあり、ビジターセンターからも大きな白い大の字が見えます。江戸時代、直接妙義神社に参詣できない人や中山道を通る人が遠くから参拝できるように、妙義神社の妙義大権現の”大”をかたどって作られたもの(信頼できるホームページから引用)。

追記:大日如来の”大”の説もあるとのこと、昔は藁で作ってあったそうです。


午後からは講演者と参加者が一緒に参拝をしました。妙義神社には明治以前にあったお寺の名残が見られたり、岩絵の具で綺麗に装飾された鬼の像がありました。写真の総門は江戸時代の物でかつては神社とお寺の両方があったそうですが、明治時代の混乱期に廃寺になったとのこと。現在は神社だけですが、普段お寺でよく見かける金剛力士像が神社に鎮座しているのも面白いです。


妙義神社は磐座(いわくら)があり巨石の下にある隙間には祠が鎮座されていました。妙義山も御嶽山同様、古来より自然信仰だったようで、波己曽(はこそ)の大神と呼ばれていたそう。「はこそ」は口語で「波己曽」は当て字かもしれないと講演者のフーさんがおっしゃっていました。


余談

下仁田ネギを網で焼いて、焦げた外皮を剥いてかじりつくと無茶苦茶おいしいと聞いたので道の駅に行きましたが営業時間が終了していました。

また呼ばれる時が来ると思って妙義山に思いを馳せながら待ちます。

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