物事を断定するには覚悟が必要

はじめに

昨日、寒行に参加しました。今回参加したものを一番しっくりくるニュアンスにして「寒行」としました。御嶽山を信仰する方々で「寒参り」や「寒行(かんぎょう)」他にも「寒山登拝」など色々な名称があると思いますが、私が参加したものは、霊神場で挨拶をして、滝で修行、移動して御座をたてるというものです。大寒付近でいらっしゃる方々が多いイメージです。

寒参りと検索する

 色々ヒットしますが、コ〇バンクによれば下記の通り

『[名](スル)の30日間、信心祈願のために毎夜社寺に参拝すること。また、その人。裸または白衣に白鉢巻きをし、鈴を振りながら行った。裸参り。寒もうで。 冬》「野の道に電灯ついて―/亜浪」』だそうです。
だそうですと、他人事のようになってしまったのは神職や僧侶の方々の事はまだ勉強中だからです。御嶽の寒参りと聞くと、各自霊神場などの行場に行ってお勤めする、長くても1泊2日のイメージです(もしかしたら日にちが長かったり、堂籠りや滝行などがあるかもしれませんが)

そもそも「御座(おざ)」も色々な名称がある可能性も無いわけではない

私の関りでは「御座をたてる(座をたてる)、御座をする(”御”は言ってるか言ってないか分からないくらい)」と良く聞くフレーズなのでこの名称で慣れていますが、御座(おざ、おんざ、ざ)、神降ろし、憑祈祷など色々な言い方があるかもしれません。

私は”おんざ”はあまり聞かないですが、本に書いてあった気がするので残しておきます。

”憑祈祷”と言っている方々がいるかは私は存じ上げないですが、修験者が行うそうで、御座の原型ではないかという説もあります。普寛行者の経歴を考えると信憑性があります。

なぜこんな曖昧な書き方をするかというと

 御嶽信仰は、個人団体はじめ様々なスタイルがあります。ここからは私個人の勝手な意見ですが、お山(御山)を信仰するという1つの大きな軸から民間に波及している事こそが御嶽信仰の魅力であり、信仰の手軽さ、自由さだと思います。シンプルに考えれば、いつでもどこでもお山を思っていれば御嶽信仰になり、そこに色々な方々の思いや祈りがあるからこそ御嶽信仰は面白い(失礼な言い方になってしまいましたらすみません)と思います。自由が良いという事ではなく、御嶽信仰に関しては多くの事例がありすぎて、迂闊に断定はできないということです。
マイノリティーを明確に残さずに断定的な発言をすると、発言者が作った枠組みから外れた人々を社会的に“消してしまう”危険があります。歴史を改ざんしてしまうわけです。

結論

お前はどうなんだ?と言われるとごもっともなので、これからもお山を軸に、世の為に何ができるかを考えながら頑張ります。記)強力 塚原

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