御嶽山の文化とくらし
2025年11月22日に「御嶽山の文化とくらし」が開催されました。
開催場所は長野県木曽町のさとテラス三岳、御嶽山の火山や自然、歴史、文化について展示をしている場所です。
主催はきそ歴史芸術文化調査研究会。木曽町のサークルで歴史、文化、芸術など色々な好きな人が集まり各々が好きな事を話すサークルです。私もたまに定例会に参加しています。
第一部 木曽御嶽信仰を介した木曽と東京の意外な接点
第一部は学芸員の方に関東圏の御嶽信仰について、ご講演いただきました。
さて、歴史の話ですが、御嶽山は1785年(天明5年 諸説あり)に尾張出身の覚明行者により中興開山※1されました。覚明行者の大きな業績としては
『御嶽山への入山は本来は木曽町 黒沢村の神官 武居家の許可が必要で、100日ないし75日の精進潔斎などの厳しい修行をした木曽谷の「道者」しか登拝できなかったところを、覚明行者が精進潔斎を簡略化して強行登拝した』
『御嶽山へ3回に分けて合計126名の民衆を引き連れて登拝をした』
『道者以外でも登拝※2できるような糸口を作った』
簡略化した説明ですが、今回はこれくらいにしておきます。
さて、なぜこの話を出したかというと、覚明行者が開山した事で
『古くからの掟である木曽谷の道者以外は登拝できない』
『旧暦6月14日に黒沢里宮を出発して15日に頂上から下山するという、登拝での入山期間が2日だったものが、覚明行者開山後に14~18日に伸び、精進潔斎の期間も短くなり、入山支払う金銭がかつてより格段に安くなった』
これが寛政4年に認められ、一般登拝者が御嶽山に入山できるようになり、1794年(寛政6年)に王滝口を普寛行者が開きました。そして富士講や伊勢講のような御嶽詣りをするいわゆる「御嶽講」ができました。そしてこの意思は普寛行者最後の弟子と呼ばれる一心行者へ、さらに一心行者の弟子の一人である一山行者へと引き継がれました。
※1一般民衆を引き連れて登拝をしたことで、新たに開山したということで「中興」と呼ばれることも。
※2神仏にお詣り(お参り)しながら山を登ること。
第二部 参加型フォーラム(フリートーク・哲学カフェ)
第二部は御嶽山に関する話題を主催者が投げかけ、参加者でフリートークをする「哲学カフェ」を行いました。御嶽信仰、百草、御嶽黒光真石、観光、防災など様々な議題についてフリートークを行いました。講演だけではなく参加者が自発的に考え発言できるイベントを作ることができました。
第二部の司会進行は私が務めさせていただきました。また、哲学カフェやワークショップを一緒に開催している御嶽行者・山伏の山本円郁 氏をはじめ、きそ研メンバーや御嶽山関係者の方々には非常にお世話になりました。

余談ですが学者さんや有識者の方々が参加してくださり、私が足元に及ばないほどの知識人が勢ぞろいで冷や汗をかきました。
別件ですが
昨年に引き続き、今年も木曽文化祭で展示しました。
昨年は王滝村で強力に従事されていた方の記録。今年はRootsOntake様による黒沢口の登山道整備の記録を展示しました。










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